本書では,まず現在の日本語教育の状況をクリティカルに見るところから論を起こし(第1章,細川英雄),主観的・主体的コミュニケーションモデルを模索する(第2章,小川貴士)。次に,相互行為実践が進行する状況をつぶさに観察して,そうした活動を通して第二言語話者の語りが協働的に構成されていく様態を言語心理過程にまで踏み込んで記述し(第3章,西口光一),学習者が主体的に自分の声を発し他者の声と対峙する中で,社会の中に自分を位置づけしていくことを目指した実践を詳述(第4章,矢部まゆみ),さらに,個人個人が主体的にメディアを選択して発信を行うプログラムにも目を配る(第5章,岡本能里子)。
言うまでもないことだが,「学習者主体と協働」という考え方は,日本での日本語教育に限定されたものではない。その1つの展開を韓国での実践に見る(第6章,三代純平)。加えて,対象は日本にいる留学生だけではないことも考えつつ,日本人帰国学生の日本語教育の中での「学習者主体と協働」についても論を進め(第7章,小澤伊久美),継承語教育や国語教育への示唆をも試みる。
また,教科書を「読む」行為の中にどんな表象が実際に現れるのか,それを学習者が主観的にどう捉えているのかという問いに対して,質的研究と量的研究の利点を併せ持つとされる研究手法によるリサーチの導入を提案し,その可能性を論じる(第8章,丸山千歌)。
このような新しい挑戦の中で,クラス活動は何を探求していくのか,クラスという場は何を可能にするのか,ということを視野に入れつつ「ラディカルな探求」を考えてみたい(第9章,西條美紀)。(まえがきより)
言うまでもないことだが,「学習者主体と協働」という考え方は,日本での日本語教育に限定されたものではない。その1つの展開を韓国での実践に見る(第6章,三代純平)。加えて,対象は日本にいる留学生だけではないことも考えつつ,日本人帰国学生の日本語教育の中での「学習者主体と協働」についても論を進め(第7章,小澤伊久美),継承語教育や国語教育への示唆をも試みる。
また,教科書を「読む」行為の中にどんな表象が実際に現れるのか,それを学習者が主観的にどう捉えているのかという問いに対して,質的研究と量的研究の利点を併せ持つとされる研究手法によるリサーチの導入を提案し,その可能性を論じる(第8章,丸山千歌)。
このような新しい挑戦の中で,クラス活動は何を探求していくのか,クラスという場は何を可能にするのか,ということを視野に入れつつ「ラディカルな探求」を考えてみたい(第9章,西條美紀)。(まえがきより)


